内容は言わずもがな。
ラインナップは全盛期名手揃い。
Robbie Robertson(G、Key、Per)、故Levon Helm(Ds、G、Per、Vo
)、故Rick Danko(B、Fiddle、Harmonica、Vo)、
Garth Hudson(Key、Syn、Accordion、Horn他、B
)、故Richard Manuel(Electric & Accoustic P、Vo、Ds、Per)となります。
ゲストにByron Berline(Fiddle)の参加がございます。
プロデュースはバンド自身。
1975年春~夏米国・
カリフォルニア州ズマ・ビーチ”Shangri-La Studios”での制作となります。
尚、ミキシングにはRobbie Robertson/Garth Hudson/故Rick Dankoが関与となります。
そもそも非常に長いキャリアを誇るバンド。
1957年後期にLevon Helmが基礎R&R系ミュージシャンRoger Hawkinsのバックバンド”The Hawks”に参加した事から始まります。
紆余曲折を経て1961年末までにRobbie Robertson/Rick Danko/Richard Manuel/Garth Hudsonが揃い活動するも、1963年後半に独立。
バンド名を変えシングル楽曲を制作リリースするも鳴かず飛ばず。
また、かのルーツ系ブルーズ・ミュージシャン”Sonny Boy Williamson”(Eric Clapton期The Yardbirdsとの共演で御馴染み)との邂逅を経るも活動叶わず、Sonny Boy Williamsonは死去の憂き目に遭う事となります。
されどアルバム”Highway 61 Revisited”で”Electric系フォーク”という新分野を指向したかの”Bob Dylan”と1965年に邂逅。
ツアーのバックバンドを務め、
”Bob Dylan & The Band”の名称を得
る事となります。
賛否両論を呼んだツアー後に作品制作に入るものの思う様な成果は得られず、Levon Helmが一時脱退。
Robbie Robertson/Rick Danko参加でBob Dylan新作”Blonde on Blonde”を制作し、ツアーに出、反響を得るものの賛否両論。
その後1966年7月29日にBob Dylanはバイク事故を起こし、活動停止。米国ニューヨーク”Woodstock”で静養する事となります。
その後”The Hawks”として活動するものの再びBob Dylanからの制作参加要請を受け、”Woodstock”に拠点を構える事となります(御存知!かの”Big Pink”)。
その後Levon Helmが復帰。1967年10月までBob Dylanとの制作を続ける最中、マネージャーがレコード会社を接触。契約を締結する事となります。
”かのBob Dylanのバックバンド”という実績から契約。
当時は仮に”Cracker”というバンド名で契約致しますが既に”Bob Dylan & the Band”という名声を博しており、そこから
”The Band”(笑)と名称を変更する事となります..........何かねぇ..............
Bob Dylanとの制作で既に録音機材を本拠地”Big Pink”に持ち込んでいた事があり、1968年初頭に制作。
L.A.の”Capital Studios”で追加録音とミキシングを行い、
1968年7月1日にデビュー作”Music from Big Pink”をリリースする事となります。
当時はロック音楽の多様性という時代。
演奏・創作エゴを全面に出した時代という事があり、The Bandの指向する”想像された米国ルーツ音楽のロック化”は非常に異色のもの。
セールスは思う様に揚げられる事が無く、後にRobbie Robertson自身も1968年にリリースされた不思議な作品と自嘲する有り様。
されど、ミュージシャンを中心に根強い支持が集まる事となります。
(演奏エゴに疲れ、更には執拗な批判に晒された当時”Cream”のかのEric Clapton曰く「The Bandのメンバーになりたかった」とも......)
ツアーも絡み1968年~1969年に掛け、新作を制作。
されどニューヨークでの制作が上手くいかず、L.A.へ移行。”Poolhouse”という住居に機材を持ち込み再び制作に打ち込む事となります。
「前作あっての今作の音楽性」という感があり前作との二枚組と捉えられるもので、
よりベーシックな感のある音楽性。
また(Robbie Robertson以外の)マルチプレーヤー的な感のあるメンバーの特徴を生かした楽曲が目立つもの。
1969年9月22日にようやくリリースすれば
セールス/チャートアクションが大きく前作を上回り、ツアーも大好評。
当時は
公民権運動でのヒスパニック/黒人の台頭そして”Woodstock”それに絡むSantanaの登場等があるもののベトナム戦争からくる厭世感やキング牧師の暗殺等々重なり、
The Beatles解散や時代を象徴したかのJimi Hendrix/Janis Joplin/Jim Morrison等が後に死去そしてJefferson Airplaneのビジネスに絡む醜い騒動。
(かのJames Taylorの名曲”Fire and Rain”のモチーフ
でございますが.......................)
時代を象徴するイベントが終わり、祭りの後の虚無感という時代がやってまいります...............................
またJames TaylorやCarol King等々内省的な歌詞を紡ぐS&SWの登場・台頭という
時代が変化しつつある頃。
The Bandの音楽性に共鳴する聴衆が急激に増えていく事となります.....................................................
アメリカ保守回帰という中で
今度は大反響を呼び、
バンドは順風満帆となります。
されど、この辺りからRobbie RobertsonとLevon Helm等他のメンバーとの作曲クレジット等に絡み確執が始まる事となります。
期待高まる新作制作に乗り出しますが、バンド自身は本拠地”Woodstock”の”Woodstock Playhouse”にてライヴ盤制作を指向するも、
かの”Woodstock”イベントでの大混乱を危惧した地元住民が大反対の憂き目に。
会場使用は同じもののライヴ盤制作は中止。ライヴ形式によるオリジナル作品制作に移行する事となります。
されど、作品制作における会場音響の問題そして以前とは異なる感のある制作エンジニア”Todd Rundgren”の存在。成功によるミュージシャン特有の私生活問題等々が頭を擡げる事となり、
またRobbie Robertsonと故Levon Helmというバンド内の確執が露呈化。
バンドに暗い影を落とす事となります..................
何とか録音を終わらせるもののミキシングを巡り、Robbie RobertsonはTodd Rundgren、Levon Helm他四名はGlyn Jonesを推す事となり、
Todd Rundgrenは一計を案ずる事となり制作テープを以てロンドンに向かい、Glyn Jonesとそれぞれミキシングを行う事となります。
そして二つのミキシングテープを以てTodd Rundgrenは帰米。バンドに選択を楽曲毎にさせるものの、バンドの意向で楽曲によっては再ミキシングを行う事となります。
ややこしい過程を経てようやく完成に漕ぎ着けリリース。
前作の成功により相当期待が高まっていた事もあり、リリース後はチャートアクションは好調となります。
かの伝説の”Festival Express Tour”参加を含めたツアーも好評となりますが
今作の音響を含めた洗練度や音造りの有り方が違和感を齎した感があり、セールス的には以前より下回る事となります..............
また作曲クレジット等の創作貢献に対する不満がバンド内に露呈してきており、バンドの活動に徐々に暗い影を投げ掛けていく中、新作制作に乗り出し、
かのVan Morrison、Allan Toursaint等を迎え前作路線を引き継ぎつつも初期回帰した感のある作品に仕上げ
リリース後はツアーに勤しむものの、以前程のチャートアクション・セールスは記録出来ず。
バンド内に微妙な雰囲気が流れる中、起死回生とRobbie Robertsonは以前中止となったライヴ盤制作を再企画。
作品参加のAllan Toussaintアレンジのブラス隊を迎えた特別年越し公演を更に企画し、その制作に乗り出す事となります......................
この次作ライヴ盤はRobbie Robertson曰くの「音響的に不満」な出来となりましたが、結構なチャートアクション・セールスを記録。
バンドの留飲を下げる事となります。
その後新作
制作に臨むもののRobbie Robertsonは創作不振。
また作曲クレジット等の問題を巡って対立が続いていた事もあり制作は困難を極め、
苦肉の策として「
バンド創成期~初期に演奏したカバー楽曲を中心とした
カバー楽曲集
」制作という案が持ち上がり、
それに乗る事となります。
制作過程で制作スタジオを途中で変更、そして後にThe Band自身の本格的スタジオ”Shangrila Studios”設計・建設に着手。
完成に辿り着き、リリースに漕ぎ着けた新作は
地に着いた音楽性と音造りで虚構を排した所は以前同様でございますが、バンドが峠を越え下り坂に入った感が窺えるもの。
案外”The Band”らしいアレンジが為されておりますが、中期~後期へと音楽性が移行していく事が分かる音楽性がミソ。
バンドの状況は良くないもので、リリース後はセールス不振もありツアーは行われず。されど1973年7月”The Summer Jam at Watkins Glen”という大規模フェスティバルに出演と相成ります。
その楽屋に訪ねてきたBob Dylanが本格的復帰に向け”The Band”側に協力を依頼し、承諾。
Bob Dylan復帰作”Planet Wave”制作に乗り出し、ツアーにも同行する事となります。
”The Band”はそもそもがBob Dylanのバックバンドとして登場し、名声を得たバンド。
Bob Dylanとの当時のセッションがお蔵入りした事でBob Dylan共にやり残した事があると、この企画が持ち上がった感がございます。
この制作・ツアーそして新たな本拠地”Shangri-la Studio”を設けるに当たり、”Planet Wave”制作エンジニアBob Fraboniを設計に加わらせ、
原点回帰と再生・再出発を”The Band”が狙った感がございます.................................
そして”Bob Dylan”との制作・ツアー後に新本拠地”Shangri-La Studio”にて満を持して新作制作を開始.....................という面倒な経緯がございます.............
さて今作。
Bob Dylanとの制作・ツアーを経てバンドの原点回帰、初心回帰を図った感がございます。
バンド自体が制作に意欲的であったもので、故Levon Helm自身も制作に関して非常に好意的であった模様。
シンセサイザー等の使用等々と新たな試みが為されているものの違和感はなく、原点回帰という感も窺える音楽性。
されど、バンドの音楽性の洗練化・コンパクト化が為されており、また制作期が七十年代中期。
ジャンルを超え八十年代という新たな時代に向けて音楽性を模索し始める時期で、The Bandも多分に漏れず、という感がございます。
また、過去作の成果をも持ち込んだ感があり、Garth Hadsonの一人ホーン隊的なパートもあり非常に興味深いもの。
再出発にあたり、バンドの過去作の成果を全て持ち込んだという感もございます。
原曲提供はRobbie Robertsonのみではございますが、メンバー誰もがアイデアを持ち寄り貢献したというバンドによる貢献という感がございます。
(Robbie Robertson除く)Levon Helm他四名とすれば「元ネタ提供がRobbie Robertsonであろうが誰であろうが我々が創作関与しても同じ」
という以前同様のバンド内の
諦めに近い感情が伺えますが、
今作では再出発というもの。
創作に意欲感が窺えるものでございます。
また、Robbie Robertsonのみならず故Rick DankoやGarth Hudsonがミキシングに関与致しており、(音造りを含め)後のThe Bandメンバーそれぞれのソロ作に通じる面がございます。
(音造りが後のRobbie Robertsonのソロ作に通じるものがございますが、Robbie Robertsonのみに”The Band”を語れず、がミソでございます...............)
リリース後はツアーに勤しむ事となりますが、(前作よりは良いとは言え、初期全盛期には及ばず)チャートアクション/セールス共に不振。
創作不振に疲労でツアーに飽き飽きしていたという
Robbie Robertsonは
ツアー中に他のメンバーに「ライヴ活動休止」を提案。
あっけなく却下となりますが、
極秘裏に「ライヴ活動停止記念コンサート」を
企画。
実行へ進めていく事となります。
されど「(当時の新時代たる)八十年代にはThe Bandの様な音楽性は生き残れないのではないか?」との疑念がRobbie Robertsonの頭を
強く
擡げていく事となり、
「解散記念コンサート」へと変貌していく事となります.........................................
正直The Bandはカナダ出身の4名とテキサス州出身のLevon Helmのバンド。
「想像された米国ルーツ音楽のロック化」という感のあるバンドでございます。
アメリカルーツ音楽系ロック(The Bandの四名はカナダ出身でございますが...........................)興隆一時代のみならず、
当時のアメリカならではの音楽性の感がある”サザン・ロック”ムーヴメントの勃興・興隆・終焉をも象徴する感がございます。
この機会に是非。